セカンドオピニオン

がんは情報戦で、ネットや本でさまざまなことを調査したと話しましたが、その中でも重要だったのが自分の治療を任せる病院を探すことでした。
検査を受けてがんの告知を受けた病院は自宅から近く、国立の近代的な大病院だったのですが、そこでは人工肛門手術をしなければならないとの判断でした。
僕はその時点ではどうしても人工肛門にはなりたくなかった。

何とか他の方法は無いのかと調べていたところ、セカンドオピニオンの重要性を知りました。
同じ病気に対しても、医師や病院によってアプローチの仕方や治療法は異なることがあります。
医師や病院の考え方、医療の技術や質は皆同じではありません。
がんの手術などまさに自分の命と人生が左右される重大な事柄を、一つの病院、一人の医師の意見だけで決めてしまうことは余りにもったいない、リスクが大きすぎます。

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がん治療は情報戦

前回のブログでは実際に人工肛門を経験してしまえば心配するほどではない、と言うことを書きましたが、それを告知されてからというもの、その時点では本当に自分の人生は大きく狂ってしまう、人工肛門などになったらもう普通の生活は送れない、絶対に人工肛門などになりたくない!という不安と恐怖心で夜も眠れない日が続きました。

すでに人工肛門が必要との宣告を受ける前、がん告知を受けた時点からですが、インターネットや本、雑誌などあらゆるメディアを使ってがんのことを調べまくりました。
心配で不安でそうせずには居られなかったのです。
まず第一に知りたかったのは、自分は今後生き長らえていけるのか?という根本的な命に係わる心配でした。
それから、どういう手術・治療が待っているのか?再発転移の可能性はどの程度あるのか?同じ病気の人たちはどれくらい苦しむことがあったのか?先進的な治療法などは無いのか?などなど、心配、不安感から知りたいこと、調べたいことは次から次に出てきました。

がん治療は情報戦です。

どれだけ”信頼のおける”確かな情報を、どれほど多く知っているか。
そしてそれらの情報から本当に自分の病状に有効な病院、先生、治療法を選ぶことができるか、で回復度合い、その後の人生が大きく異なってくると僕は感じました。
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一時的な人工肛門

やはり人工肛門にしなければならないということが判明したわけですが、一つ最悪の事態を免れました。
それは人工肛門は必要だが、生涯永久に人工肛門をしていかなければ行けないのではなく、僕の場合は仮の人工肛門を一時的に設置して、半年後位に人工肛門をはずせるようながんの位置であったということです。

永久的な人工肛門にしなければいけないのは、がんの位置が非常に肛門に近いときです。
その場合はがんの切除に伴い、肛門の機能も大きく損なわれてしまうため正常な排便ができなくなってしまうので生涯にわたり、人工肛門で生活しなければいけなくなります。

僕の場合は肛門から7センチくらいの場所にがんがありました。
再発や転移を防ぐためにがんの上下数センチを切除しなければいけないとのことですが、それでもなんとか排便の機能をギリギリ残せるくらいの手術の位置なのだそうです。
ただし、排便時に大きな力が加わる部分を切除してつなぎ合わせる手術になるので、直腸がきちんとつながって大丈夫になるまで、肛門を使わないようにするために半年ほどの間、一時的な人工肛門を設置しなければいけないのだそうです。

ただ、自分で排便できるような機能は残るけど、15センチくらいある直腸が5センチ以下くらいしか残らないので、人によって症状は様々ですが頻便になったり、排便障害が起こったりする可能性が高いとのことでした。
実際に手術後3年たった今でも、排便では苦労することが多いです。 続きを読む

注腸検査

注腸検査というものはこの時に初めて知りました。
いわば腸のバリウム検査と言うことになります。
腸にバリウムを流し込んでX線撮影を行う検査方法です。
大腸内視鏡も注腸もそうですが、腸内を空っぽにしないといけないので、2日前くらいから食事を消化の良いものに変えていき、前日の夜はスープだけみたいなメニューになります。
自分で病院から指示されたようなメニューで食事すればいいのですが、大きな病院であれば最近はたいてい「検査食」なるものがセットになって売られているので、それを食べれば楽でいいです。
でも本当に小食なのでかなりひもじい思いになります。

そして結構つらいのが当日の朝に大量の下剤を飲んで腸の内容物を全部出してしまうことです。
1.8リットルの水に溶かした下剤を1時間かけてゆっくり飲むと、下痢状態になって何度もトイレに駆け込み、最後は透明な物しか出なくなったら腸内がきれいになったことになります。
もう、この下剤を飲む検査はこれまで5~6回やったので今は慣れましたが、もともと胃腸の丈夫でない僕は、初めて下剤を飲んだ時は排便感と共に、猛烈に下腹部が痛くなり、脂汗を流して苦しみました。
後で医師にそれを告げたところ、腸のぜん動を活発にさせるので体調や体質によっては痙攣のようになってそのように痛むこともあるとのことでした。
幸いそれ以降はこのような症状になることは無かったですが、それで一時はこの下剤を飲むのが非常に怖かったです。 続きを読む

人工肛門の可能性

内科での直腸がん告知からとてもながく感じた2週間が過ぎ、外科の担当医による診察が始まりました。
外科の先生は40歳くらいの僕と同年代と思われる方でしたが、規則通りのおざなりな感じがした内科の先生と異なり、非常に親身に話を聞いてくれる方でした。

「どのような治療方針で行くかは、がんの正確な位置を注腸検査と言うもので確認してから決めます。心配も多いでしょうし、早く治療も始められた方安心でしょうから、検査はなるべく早くに調整しましょう。」
と言ってくださり、4日後に注腸検査を受けられるように手配いただきました。
内視鏡検査まで約2か月待たされ、検査から結果報告まで2週間、そこから外科の予約を取るまでがまた2週間というこれまでの遅さからすると、格段に迅速に対応いただいて、先生の対応によってこんなに違うのか、と見違える思いがしました。

ただ、その後がんの告知以上に思いもよらないショッキングな話をされました。
「がんの位置が肛門より10センチ程度上だったらがんの切除だけで済みますが、それより下にある場合は人工肛門になる可能性があります。肛門にすごく近い部分を切除すると、排便をつかさどる筋肉・機能などに障害がおこるためです。」
人工肛門!ネットでいろいろ調べてそういう可能性があることは分っていましたが、まさかそんなことにはならないだろうと思っていました。しかし、担当医から明確にそれについて告げられると、体が震える思いでした。
人工肛門についての詳しい知識は有りませんでしたが、自分には関係のない、不自由な思いをしている人たち、とても特別な人たちのこと、と思っていたものが、自分自身に降りかかるとは! 続きを読む

妻と抱き合って泣いた夜

直腸がんの告知を受けて帰宅し、それを妻に報告することほど辛かったことはありません。
まさに妻は絶句していました。
しかしもともと気丈な妻は「大丈夫だよ、あなたはこれで助からないようなことには絶対にならないよ。

だってそんな罰があたるような生き方してこなかったじゃない。そういうことは神様が絶対にわかってて助けてくれるから。」と励ましてくれました。
夕食も普通を装っていましたが、病院で告知をうけてからもうずっと動悸が止まらず、本当に苦しかったです。

夜ベッドで何も知らずすやすや眠る娘の顔を見ていると、この先この娘が成人するまで自分が養ってやることができるのかといたたまれない不安に襲われました。
横にいる妻に「こんなことになってごめんな。」というと、気丈にふるまってくれていた妻が僕に抱き着いて泣き出しました、「なんであなたがこんなことに、、、、」
僕もこらえていたものが溢れ出し、妻を抱きしめて涙が止まらなくなりました。
「ごめんな、、、本当にごめんな」

これからどんな手術・治療が待っていて、そもそも完治するのか、これまで通り働いて行けるのか、僕たち家族はどうなるのか、何もかもわからないまま、不安で不安で仕方ない日々が始まりました。

直腸がん告知後の流れ

「直腸がんです。初期とは言えません。」
と宣告を受けた医師の顔、表情は一生忘れられません。
多くの同様の患者に接しなければいけないので当然かと思えますが、全く感情もなく、ただただ淡々と説明をされました。
逆恨みになるかも知れませんが、「人の命、人生の一大事をよくこんなに冷たい感じで言えるなあ」と、もの凄い冷たい先生だと感じてしまいました。
そして「手術が必要になります。内視鏡検査は内科で行いましたが、今後は外科に担当が変わりますのでこの後、予約窓口で外科の予約を取ってください。今後の詳しい治療の方針については外科の診断後に話されると思います。」とのことになりました。

外科の予約を取りました。最も近くで予約が取れるのが何と2週間後でした。
「初期ではない」と言われたがんなのに、僕としては一刻も早くできれば今からでも外科の先生に診てもら居たい気持ちでいっぱいでした。
どういう手術が必要なのか、どの程度の進行度なのか、直る確率はどのくらいなのか、そもそも一刻も早く手術をしなければどんどん進行していくのではないか、聞きたいことしてほしいことが山ほどあり、不安だらけのがん患者にとって2週間は非常に長く感じました。
この病院はたまたま自宅から近かったし、施設の近代的な国立の大病院だったので選んだのですが、それだけに患者数も多く、僕のような患者も普通にたくさんいるということなのだろう、そんなに焦らないでも2週間くらいでひどくならないということなのだろうと自分を納得させましたが、大病院の融通の利かなさのようなものを感じました。

がん検診が本当に重要!

僕が2年以上検査をぐずぐずしていたのに検査に行こう、と決心させてくれた出来事がありました。
それは知人の死でした。
僕の前職での先輩Aさんの奥さんが直腸がんで亡くなったことでした。
この奥さんは僕と同じ年であり、同年齢の知人ががんで亡くなったことに大きなショックを受けて前から気になっていた検査を受ける決断をすることができました。
今考えても、この奥さんの悲報が僕の命を救ってくれたのだと思っています。
この出来事が無ければ、僕はまだまだずるずると検査に行かない状態が続いて、手遅れになっていた可能性もありました。

後からAさんに聞いた話ですが、奥さんもきれいな赤い血便が出ていたらしいのですが、僕と同じように痔だろうと思っていたこと、そして女性と言うこともあり、そういう病気の可能性で病院に行くのが恥ずかしいという思いもあってやはり放置してしまっていたようなのです。
同時に仕事も忙しかったからとも言っていました。
なんだか僕と同じような状況で検査に行かないことが続いてしまっていたようです。
そのうちに、体重が落ち、体調も良くないことが続き腹痛も頻発するようになってやっと病院に行かれた時のはもうかなり進行していまっていたとのことでした。 続きを読む

痛恨の誤った知識と怠惰性

一般的な大腸がんの知識を持っている人からすれば、僕は大腸がん直腸がんになっても当たり前の大きな失敗をしていました。 それは、血便が出ていたのに、およそ3年ほど検査をせずにほったらかしにしていたからです。

がんに関してそれなりの知識と常識、危機感を持つようになった今の僕自身から考えると、この上もなく愚かな、自業自得の行為であったとしか言えません。 ただ、言い訳ではありませんが、誤った知識と無知、そして忙しさのために僕のように体がシグナルを発しているのに、検査を受けず手遅れになっている人が世の中には何万人もいると思えるのです。 だから、僕はこのブログを読んでくれた人が一人でも多く、正確な知識と気づきを持ってもらって手遅れになるようなことが少しでも少なくなればとも思っています。

僕が血便が出ていながら検査になかなか行かなかったのは、複数の要素がからんでいました。 まず前提に有ったのは、血便が出ることがあっても大したことが無いという原体験があったからです。 実は僕が30代前半の頃、一度血便の症状が出たことがあったのです。 この時は初めての血便でしたので、非常に驚き、不安になりすぐさま病院へ行って内視鏡検査をしてもらいました。 そうしたら検査した医師は「あー、小さなポリープがありますね、内視鏡で取っておきますね。切除するので今日はちょっと血が出るかもしれませんが、これで大丈夫です。」と非常に何でもないような感じでした。 続きを読む

直腸がん発覚!

2009年10月大腸内視鏡検査で直腸がんが発見されました。 検査結果を聞かされた医師の顔と言葉は強烈に脳裏に残っています。 「直腸がんです。初期とは言えません。」 一瞬にして血の気が引きました。 ”たぶん大丈夫だろう。そんなことは無いはずだ。”と自分で 希望を持って思い聞かせていたものが吹き飛び、希望が消え去りました。

大腸カメラの検査をしたのは若い医師1人だったのですが、しばらくして気が付くとベテランそうな医師が2名、後ろから腕組みをして何か話しながらモニターを見つめていました。 その時もの凄く悪い予感がしました。 検査が終わった後、若い医師が「検査結果は2週間後と事前に言っていましたが、もっと早くになるかも知れないので、ちょっと待っててもらえますか。」と言ってきたので、悪い予感は更に広がりました。 しかし「やっぱり予定通り2週間後でいいということです。」と言ってきたので”がんが見つかったとかなら2週間後なんてゆっくりしないよな。”と自分で言い聞かせましたが、不安な気持ちはぬぐえませんでした。 その悪い予感がやはり当たっていたのです。